私が子供の頃(昭和40年代)は、中野町は
『材木屋サンのまち 』 でした。
堤防沿いには、製材工場が建ち並び、
丸太が 堤防よりも高く、積み上げられていました。
天竜の山から切り出された木材が、筏を組んで川を下り
この中野町辺りで陸揚げされます。
東海道線の天竜川駅は、当初この材木を運び出す
貨物駅として設置されました。
材木屋さんは羽振りが良く、町全体が活気にあふれていました。
やがて 輸送手段が、筏からトラックに代わり
木材も地元の材料から、輸入材に移行していって、
今では材木屋さんはわずか1軒に。
「自然」 と
「暮らし」 と
「産業」 が密接に結びついていた、
古き 良き 時代 でした。